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ここはいづみのほとり
人の世の旅につかれた方は
自由にお休み下さい
しばらくすると
きっと元気が出ます
この頃の夏の陽は
ひどく暑くなりましたから
ひかげに立寄ってお休み下さい
永遠の生命の泉が
わき出ています
絶望して投げ出す前に
泉のほとりにお出で下さい
しばらくすると
きっと元気がでます |
毎週日曜日の品川教会の礼拝で配られる週報が「泉のほとり」という名前で新しく発行されるようになったのは、一九五一年七月十五日のことです。冒頭の文章はその中に載せられていた一文です。人の世の旅人であるわたしたちが、ちょっと立ち寄って、疲れをいやされ、力が与えられるところ、それが泉のほとりです。毎週の礼拝がそのような場であるように、という願いが、この名前の中に込められているのです。
その週報のメッセージを、毎週わたしが書くようになったのは、一九九〇年の六月からです。品川教会では日曜日の朝に2回の礼拝をしています。ひとつは子供たちと大人が一緒に礼拝する第一礼拝。もうひとつは大人が中心の第2礼拝です。両方ともわたしが説教を担当していますが、その中で第一礼拝でなされた説教の要旨を、翌週の泉のほとりに載せることにしています。
そのようにして書かれたメッセージが、一九九〇年から二〇〇〇年までの十年間で五百余篇になりました。その中から三百六十五篇を選んで、それを教会暦に従って聖書日課の形に整えたものが、この本です。
この本が生まれたのは、二〇〇〇年六月に、わたしが品川教会の主任牧師として就任後十周年を迎えたことを記念して、毎週の第二礼拝でなされている説教を集めた説教集を出そうという話が役員会で起こったことがきっかけです。しかしながら、説教集を作るためには、たとえほぼ完全な原稿が残っていたとしても、実際になされた説教を聞き直す作業が不可欠で、それは相当な労力を要することですので、それよりも、すでに文章になっているこの短いメッセージをまとめて本にする方がよいのではないでしょうか、とわたしが申し上げて、役員会もそれを了承して、この方向で具体的に話が動き始めたものです。いろいろ検討していく中で、本にするなら実用的なものを、ということで、聖書日課の形にすることにしました。
この種の本はすでに多数出版されていますし、毎年、雨後の筍のように新しいものが出されています。その中の一本に名乗りを上げたわけですが、この筍の特色を上げれば、このための書き下ろしではなく、実際に礼拝で語られた説教の要約である、ということになるでしょうか。十年間ひとつの教会の会衆を養い、求道者を信仰に導いてきた言葉である、ということです。ひとつひとつ丁寧にお読みいただければ、必ず得るものがあると思います。
説教の内容としては、十年間に渡るものですので、特に初期の説教の中には、今だったらこういうことは言わないな、と思うものも少なくありませんが、書き直すことはしませんでした。手を入れ始めるときりがなくなる、ということもありますし、それらも、その時点での自分のメッセージですから、それを大切にしたいという思いもあったからです。ただ、礼拝での説教は、その時の日本の社会や教会の中で話題となっていた出来事に触れて語られる場合があり、それらはあとで日課として読むには適当でないものもあるので、そのようなものは手を入れました。そのようなものを除けば、大部分が週報に載せられているそのままのメッセージです。
この本の書名については、編集委員の方々といろいろな議論をして、最終的に「泉のほとりで」としようということにしました。「泉のほとり」という名前に込められた願いを、この本も受け継ぎたいと思ったからです。
この本が、人の世の旅を続けられる多くの方々にとって、魂の休みの場となり、新たな力を受けて旅に出て行く場となりえたならば、これにまさる幸いはありません。(まえがきより)
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